出張先での雑記帖



日光
Nikko


気分転換に旅先(モチロン仕事)での画像をお届けします!
(印象に残った画像を都度掲載予定です)






2019年 9月 1日(日) 日光(栃木県)

<日光の社寺>

1999年(平成11年)の12月2日、モロッコのマラケッシュで開催された
第23回世界遺産委員会において、
「日光の社寺」が世界文化遺産に登録されました。

世界遺産に登録された「日光の社寺」の内容は、
日光山内にある二荒山神社、東照宮、輪王寺の103棟(国宝9棟、重要文化財94棟)
の「建造物群」と、これらの建造物群を取り巻く「遺跡(文化的景観)」です。

仏教と神道が融合した独自の信仰を育くんできた日光
二荒山(男体山)をはじめ諸山の神霊を祀ってきた二荒山神社、
1200年以上の歴史を有する日光山輪王寺に代表される日光の社寺は、
神を仏として崇める仏教と神道が融合した独自の信仰を育くんできました。

明治4年(1868年)の神仏分離令以降、日光山内の仏教建築物を総称して輪王寺と呼び、
東照宮以外の日光山内に点在する神道建物を総称して二荒山神社と呼んでいます。




※久しぶりにリフレッシュできました!



日光東照宮(石鳥居)
遠近法で鳥居が高く見えるよう、
石段は上に行くほど幅が狭く、
一段の高さも低くなっています。


日光東照宮(三神庫:上神庫)
校倉造りの建物には、
春秋の祭事で使われる
馬具や装束類がおさめられている
実物を知らない江戸時代初期の絵師・
狩野探幽が下絵を描いたため、
「想像の象」といわれています。


日光東照宮(神厩舎)
猿が馬の病気を治したという
インドの故事にならって
猿が描かれています。
「見ざる・言わざる・聞かざる」
有名な三猿の彫刻


日光東照宮(銅鳥居:パワーポイント@)
正面に銅鳥居、奥に陽明門、
その奥に拝殿・本殿。
それらが重ならずに一直線に見える位置が、
北辰の道の起点と言われ、
最も強力なパワースポットの一つ。
「北辰の道」とは、北極星へ向かう道という意味。

陽明門と手前の鳥居を 中心に結んだ上に
北極星が来るように建てられています。


日光東照宮(陽明門)
2017年3月、44年ぶり、4年間をかけた
大修理を終え、色鮮やかによみがえりました。
一日見ていても飽きないことから
別名「日暮の門」と呼ばれています。


日光東照宮(唐門)
奥にある本社を守る重要な門
門の両側の柱には、
昇龍・降龍が彫られています。


日光東照宮(奥宮宝塔:パワースポットA)
「奥宮宝塔」は生気の発生元!

家康公の眠る墓所「奥宮」
に通じる「東回廊潜門」の上部に
刻まれている「眠り猫」


日光東照宮(上神道(パワースポットB)
「参道パワーストリート」
日光東照宮から二荒山神社へ続く参道も
強いパワーのある通り


日光二荒山神社
男体山の山頂の二荒山神社奥宮と、
日光市内の二荒山本社の中間にあるので
中宮祠と呼ばれています。


日光二荒山神社(拝殿)
現在の本殿は、江戸幕府2代将軍
徳川秀忠の発願により1619年に造営
(現在、修復中)


日光二荒山神社(神橋)
日光山内の入口、
大谷川に架かる木造りの赤い橋
その昔、深沙王が現れ2匹のヘビを放ち、
そして絡み合い橋になったと云う伝説


日光山輪王寺(本堂:三仏堂)
766年勝道上人が建立したことに始まり
810年朝廷から満願寺の称号を受け
天台宗の寺となった名刹

日光山輪王寺大猷院(仁王門) 日光山輪王寺にある3代将軍家光の霊廟
祖父である「家康公」を凌いではならない
という遺言により、
金と黒を使用し重厚で落ち着いた造り


日光山輪王寺大猷院(二天門)
二天門は石段上にある八脚楼門入母屋造りの門
正面の左側(東)を守護するのが「持国天」、
右側(西)を守護するのが「広目天」


日光山輪王寺大猷院(夜叉門)
承応2年(1653年)大猷院に造営された門。
装飾がすべてボタンの花で統一
されていることから別名「牡丹門」


日光山輪王寺大猷院(唐門)

向唐門で、屋根の前後の軒を唐破風形。
二脚門形式で金地板への浮彫や透彫金具等
気品あふれる装飾となっています。


日光山輪王寺廟大猷院(皇帝嘉門)
奥の院の入り口に当たる門は、
明朝様式の竜宮造りで、
別名【竜宮門】と呼ばれています

門の通行口部分が漆喰の台形に近い
アーチ型で造られている
竜宮造りの皇嘉門